
どうもこんにちは!!ぺるちです!!!
今回も私の失敗について語って行きたいと思います
前回の話を簡単にまとめると
人助けしたら駅員を呼ばれた
というお話でしたね
本当にこんな悲しいこともあるんだなと思いました
今回は何度も死にかけた私
を題材に話していきます
今の現代社会において

人生楽しくないなぁ・・・
辛いなぁ・・・
と感じる方いると思うのでその方に向けて
書いていくことができればと思います

世界の中心ではなく、自分世界の中心で生きろ
私は今21歳の大学生であまり偉そうなことを言えた口ではないですが
世界の中心ではなく、自分世界の中心で生きろ
と世の中に生きる人に伝えていきたいです
私は何度も

この世から消えたい・・・
そう思いました
そんな私も今生きています
生きていることが良いことなのか悪いことなのか
正直なところ分かりません

でも私がブログに言葉を残すことで
誰か助けることができるのでないのか
そう思って書いていきます
何度も消えようとした自分
幼い頃からの失敗
私は小学生時代に初めての失敗をしました
その失敗は生まれつき顔がブサイクというところから始まりました

そのせいか学校に行っては
上履きを隠されて教室に入ることができなかったり
教室に入れたとしても黒板に大きく悪口を書かれたり
教科書を全てゴミ箱に捨てられたり
絵を書いてもクラスの誰かの嫌がらせでボツになったり
雨の日に帰っていると横から突然タックルされて田んぼに落とされたりして

消えたい・・・
と何度も言い毎日のように道路に飛び出しをしていました
そして事情を大人に説明しても
お前が強くなれ
虐められるお前が悪い
僕は本当に悔しかったです
この時から消えたいという気持ちよりも見返したいが強くなりました

元々努力は嫌いではなかったので
スポーツクラブに入って毎日練習しました
小学生の階級と言えば
走りとドッジボールで決まっていたようなものでした
なので私は上の学年よりも強いぐらいに頑張りました
そしてボコボコにしてやりました

すると今まで口を開いてなかった先生が言ってきました
君スポーツしてるんだから手加減してやりなさいよ
痛くて泣いてるじゃないか
私は正直に驚きました

なんだ、この世は理不尽なのか??
という思いを小学生ながら抱きつつ
勉強以外での先生の言うことを聞かないようにしていました

父親にナイフを向けられる
私は毎日のように虐められて帰ってきていたので
家庭内環境というものは最悪なものでした
お前が強くなれ、もっと努力しろという祖父
もうやめて!!と叫ぶ祖母
どうしたらいいんだと悩む父
この場に呆れる母
雨の日には必ずといってこのような場になっていました

するとある時に父が

幸せになるためにはどうしたらいいんだ・・・
と精神を病んでしまうまで考え込んでいました
そして遂にその日が来ました
階段で泣き叫ぶ私の目の前には
包丁を手に持った父親がいました
消えたいと思っていた私もめっちゃ怖かったです

幸せになるためには・・・
と呟いた後に怒鳴り声をあげてきました

幸い母に止めてもらい命を助けてもらいましたが
この日を境に校区が変わらない程度に引越しをしました
何もできなくなる
その日から数ヶ月が経った頃
私の父と母は離婚しました
私と妹と母で生活をすることになりました
そんな日でも突然父が

ここの家は俺のものだ!!
ぺるち出てこい!!殺してやるわ!!!
と家の前に叫びに来る日がありました
私は学校での虐めと恐怖で毎日で布団と一緒になる生活を
小学生の間していました
中学生なってもあまり改善することはなく
PCを買ったことを境にして
どっぷりとゲームにはまり込んで
入試前日も勉強しないでゲームの大会の練習をする
その生活をずっと過ごしていました

体に爆弾を抱える高校生活
そんな私でも市内の公立高校に入学することができました
本当に指で数えることができるくらいの友達の一人と
入学することができ
同じ軽音部に入ることができ、喜んでいました
でもそんな生活もすぐに終わりました・・・
その友達はクラスの人間関係で問題を起こし中退
私は学校でひとりぼっちになりました

私はその友達がいるからという理由で部活を選んだため

音楽は興味ない、ましてやベースという楽器なんぞや???
って状況でした
周りは音楽大好き、音楽経験ありって環境だったので
中々厳しいものでした
周りが経験ありだったので求められるレベルもその人達が基準となっていました

そんな中で大会の選考が始まり
私は何故か選考メンバーに選ばれてしまいました
それから練習が始まったのですが
私はそもそも初心者だったので毎日のように責められる日でした
お腹が痛いなぁ・・・と思いトイレに行きました

するとトイレ内が真赤になっていました

嘘やろ・・・
ってなったんですけど
この時だけかと放置していました
2ヶ月ずっと真赤になっていたのでまずいと思い、診療所に行きました
と言われ、私はびっくりしました
仕方なかったので紹介された病院に行くと
分かりませんねぇ・・・
紹介しますのでここに行ってください・・・
その次の病院でも
痔かな??
でも分からないのでここに行ってください・・・
と言われたので向かいました
その病院は平日2日のみの診察で
学校を休まないと行けない場所でした
なので学校を休んで病院に向かいました


病院めっちゃでけぇ・・・
と思いながらも診察を受け
痛すぎる検査を受けて、待っていると
衝撃の一言を貰いました
これは国家指定難病ですね
まだ早期の発見で良かったですね
遅ければ腸の切断、死亡もありましたよ
と言われてしまいました
一生治らない病気にかかったのかという衝撃と一緒に

あ、休んでもいいんだ・・・
という衝撃もありました
私は虐められて、引きこもりもしたのですが
一度も学校、行事を休んだことがなかったので
この時本当に学校休んで良かったんだと思いました
この日から辛いことがあれば学校を休むという行動を取れるようになりました

一生治らないことを考えると

なんで生きてるんだろ・・・
って日も沢山ありました
でもやるべきことがあったので沢山頑張りました
そのおかげか僕の学校にしては良い成績を収めることができ
それなりの位置を確保して卒業しました

しくじりまくった大学生活
私は大学デビューしよ〜〜〜と思い頑張っていました
ただ入学してみると

あ、男しかいねぇ・・・
と思いつつも頑張っていました
しかし1日本当に忙しくてセットすることなく、学校に向かいました
すると周りに引かれていました

あ、大学デビューばれた・・・
って思いました
その日からは何となく楽でした
ノーセット、清潔感も意識しないで
生きていたのでやりたいことしてました
学科1位取ったり
凄い会場で演奏したり
企業さんとお仕事したりと少し浮かれてました

絶望に見えた希望
そんなある日、私は病気にかかり、死にかけました
医者に何で生きているのか分からないと言われました
退院してからは何度も人に騙されました
歩くことも厳しい筋力の低下した体で
何人もの大人、大学の友達にカモにされました
僕は母に全てを話して

死ねなくてごめん・・・
私の言葉を聞きながら母は隣で泣いていました

その時に思いました
私は何のために誰のために生きているのだろう
人のために?
いや、自分が幸せになるために生きているはず
そう、ふと思えたんですよね
しかし私には友達と呼べる人間もほぼいなかったので
友達とはなんぞやってところから
生きるとはなんぞや、幸せってなんぞやってところまで
当たり前のことを大学生になって勉強しました

そして楽になれました
他人から見れば私の人生は酷く悲しいものです
楽しんだ瞬間はない、感情も豊かではない
人間との関わりはない
お金はない、寧ろマイナス
人間としての価値はない
でもそれって他人との比較から生まれた価値観なんですよね
私の人生においてラーメン食べるだけでも幸せなんです

それは他の誰に言われようとも変わらない一つの価値観なんです
今はマイナスの現状でも楽しめているので
私は私であるために楽しく生きることができればと思います
もしマイナスの現状で悩んでいるのであれば
それが他人との比較で生まれた価値観なのか見直してください
少しは楽になるはずです

本当に言いたいこと
ここまで私は色々と書かせて頂きました
全て要約すると
冒頭で言った世界の中心ではなく、自分世界の中心で生きろ
ってことなんです
この世界で生きる限り人という要素は除くことはできません
世界の中心人物であるかのように振る舞うと嫌われてしまいます

私は嫌われることが悪いことだとは思いません
ただ自分世界の中心だと思うことで
周りの人たちを幸せにする努力はした方がいいんじゃないのかな?って思います
自分は自分、他人は他人と捉えるのもいいです
ただ仕事って価値を提供して、対価としてお金をもらう
これが当たり前のことなんですよね

つまり幸せも一緒で自分が幸せを相手に渡さない限り、自分も幸せを得ることができない
そういった考えなんです
みなさんにも消えたいと思ったこと
一度や二度あると思います
今思っている方もいると思います

大丈夫です、今まで生きれたのですからあなたは自分に強いです
生きているだけで凄く偉いです
一歩前に出て親でもいいので一人笑顔にさせてみてください
何か人生が一つ変わると思います
この文章を読んで一人でも
人生を変えることができればと本気で思っています

さぁ人生を変えてやりましょう!!
相談であれば乗りますので、いつでも私のSNSに連絡ください
できる限り早く返します

今回もありがとうございました!!